大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和28年(行)74号 判決

原告 山崎由蔵

被告 国立町議会

主文

被告が昭和二十八年八月二十一日原告に対してなした国立町議会議員の被選挙権を有しないものであるとの決定を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求める旨申立て、その請求の原因として、原告は昭和二十六年四月に施行された東京都北多摩郡国立町の町議会議員の選挙において当選し、爾来国立町議会議員となつていたものであるが、被告は昭和二十八年八月二十一日の議会において地方自治法第百二十七条第一項に基き、原告が国立町内に住所を有せざるに至つたものであるとして、原告が国立町議会議員の被選挙権を有せざるものと決定し、その旨昭和二十八年八月二十三日文書をもつて原告に通告した。然しながら原告は右当選当時から引続き現在迄国立町内に住所を有して居るのであつて被告のなした右決定は違法である。即ちこれを詳述すれば、(一)原告は昭和二十六年四月前記選挙施行当時から引続き居住していた国立町青柳八百十番地所在の家屋を昭和二十七年十月中旬他に売渡し、その隣地の青柳八百十一番地に於て家屋の新築にとりかゝると共にその間裏手の青柳七百八番地の娘工藤ヨシヱ方に同居した。(二)右青柳八百十一番地の新築家屋は昭和二十八年五月略々竣工したが長男敏彦の営業資金を得るためこれを担保に供したところ営業上の手違いからこれをも他に処分するのやむなきに至つたので、原告は青柳七百八番地の工藤ヨシヱ方から昭和二十八年一月青柳八百四十二番地今野幸一郎方に移り、引続き同所に居住しているものである。(但し原告は本訴提起後肩書住所に移転したと供述している)(三)その間原告は健康上の理由等により妻を東京都北多摩郡国分寺町の子供等の住居に同居させたことがあり、現在もまた同所に同居させているが、原告の生活の本拠は昭和二十六年四月当選以来国立町にあり、他の市町村に移したことはない。従つて被告の決定は違法であるからその取消を求めるため本訴に及んだものであると述べ、被告の主張に対して昭和二十八年八月二十一日の国立町議会に於ける出席議員及び議決の際の票数がその主張のとおりであることは認めると述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は、本件訴を却下するとの判決を求め、その理由として、被告のなした本件決定の内容に立ち入つて、原告の住所が国立町にあるかどうかの実質的瑕疵の有無を判断することは裁判所の裁判事項ではないからそれを目的としてなされた本件訴は不適法であると述べ、本案につき原告の請求を棄却するとの判決を求め、原告の主張事実中、原告が昭和二十六年四月その主張のとおり国立町議会議員の選挙に当選し、同議員の職にあつたこと、被告が昭和二十八年八月二十一日原告に対して原告が国立町に住所を有しないことを理由として国立町議会議員の被選挙権を有しない旨の議決をなし、昭和二十八年八月二十三日その旨原告に通告したこと、原告がその主張の青柳八百十番地の家屋を昭和二十七年十月中旬他に売渡したことは、いずれも認める。工藤ヨシヱ方に同居していたことは不知、その余の事実はすべて否認する。原告は昭和二十七年五月九日その住所を東京都北多摩郡国分寺町に移し、以後同所に居住しているものである。今野幸一郎方に時々立寄ることはあるが、そこが原告の住所ではない。従つて被告が昭和二十八年八月二十一日の議会において、二十三名の議員が出席し原告の住所が国立町にあるかどうか即ち原告の被選挙権の有無について無記名投票に付したところ住所が国立町にないとするもの十七名、あるとするもの六名、出席議員の三分の二(三分の二は十六名)以上の多数によつて被告は地方自治法第百二十七条により原告が被選挙権を有しないことを決定したものであると述べた。(立証省略)

理由

原告が昭和二十六年四月十二日施行された東京都北多摩郡国立町の町議会議員の選挙において当選し、爾来国立町議会議員であつたこと、被告が昭和二十八年八月二十一日の議会において地方自治法第百二十七条第一項に則り原告が国立町議会議員の被選挙権を有しない旨決定し、昭和二十八年八月二十三日文書をもつてその旨原告に通告したこと及びその理由は原告が国立町に住所を有せざるに至つたものとしてなされたことは当事者間に争がない。

一、ところで被告は実質的瑕疵を理由とする被告議会の決定の取消は裁判所の裁判事項ではないから本件訴は不適法であると主張するので先ずこの点について判断する。

本件決定が地方自治法第百二十七条第一項に基き議員の被選挙権の有無についての決定であることは前記のとおり当事者間に争ないところであるが、同条によればかゝる決定があつた場合にはその議員をして当然に議員たる地位を失わしめる法律上の効果を生ぜしめるものであるから本件決定は一種の行政処分で、この場合の町議会は行政事件訴訟特例法第一条に所謂行政庁に該当すると解せられる。裁判所法第三条第一項によれば裁判所は日本国憲法に特別の定めのある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判する権限を有するところ地方自治法第百二十七条第四項は同法第百十八条第五項を準用し、地方議会のなした議員の被選挙権の有無についての決定に対しては決定のあつた日から二十一日以内に議会を被告として裁判所に出訴できると規定し出訴の事由については何等の制限を設けていないのであるから議会の決定についてはそれに瑕疵がある場合にはその瑕疵が形式上(手続上)の瑕疵たると実質上の瑕疵たるを問わず取消訴訟の理由たりうるものである。従つて被告の本件見解は採ることができない。

二、そこで本案について審究するに、被告が昭和二十七年五月九日以降原告はその住所を東京都北多摩郡国分寺町に移したものであるとするに対し、原告は昭和二十六年四月以来引続き国立町に住所を有すると主張するのでこの点について判断する。

成立に争ない甲第四号証の一乃至三、乙第一号証の二、四、証人工藤ヨシヱ、同山崎敏彦、同円谷勝四郎、同今野幸一郎、同井野勇吉の各証言及び原告本人尋問の結果を綜合すれば、原告は昭和十六年一月頃国立町に移住し来り、昭和二十六年四月の国立町議会議員の選挙の施行の当時には東京都北多摩郡国立町青柳七百八番地に居住し、別に八百十番地に家屋を建てそこで食糧品の配給等を主とした食糧品販売業をしていたが(右の営業を始めたのは昭和二十四年十二月頃)、その後昭和二十七年右食糧品販売業を廃止し、右店舗を真保貞夫に売渡し、その隣に二階建一戸を建てこゝに家族等を呼び寄せる積りでいたところ、長男敏彦が事業に失敗し、資金の調達に困つたので該家屋を担保として金を借りたが返済ができず家屋の所有権についていざこざが起つたのでその間一時的に居住する目的で昭和二十八年一月中旬頃青柳八百四十二番地の原告のもと被用者今野幸一郎方に同居することになつたのであるが、結局右家屋の所有権を他に移転せざるを得ない結果になつたので、同人方に昭和二十九年七月迄いることになり、更に昭和二十九年七月頃になつて前記青柳七百八番地の工藤ヨシヱ方に戻り住んでいること(但しこの点に反する証人今野幸一郎の証言は証人工藤ヨシヱの証言に照して措信しない)そして昭和二十八年八月当時は原告は今野方に寝具食器等を持込んで起居し、同人方において食糧の配給を受けて朝食を摂り、夕食も一月のうち十日位は食べ、原告宛の郵便物も右今野方に宛て配達され、又原告の来客もあり、そこを足場として毎日不動産売買仲介業者の助手として出かけ、或いは被告議会に出勤し、主として国立町議会議員の歳費と不動産売買仲介業者の助手としての報酬によつて生活していたものであることを認めることができる。してみればはじめの原告の主観はとも角として客観的には右青柳八百四十二番地今野幸一郎方が比較的長期に亘る原告の生活目標のために定住する場所であり、且その場所が原告の日常生活の足場となつていると認められるから同所をもつて原告の昭和二十八年八月当時の生活の本拠たる住所と解するのが相当である。もつとも証人山崎敏彦の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和十六年一月国立町に移住後まもなく子女の教育のため子女を東京都北多摩郡国分寺町本多新田二丁目二百九十八番地に別居させ、また後には妻が病気であるため妻を右国分寺の子女方に同居せしめ、その後は原告は単身でおること(但し嫁いだ娘方に同居していることは前記のとおり)、また原告が右の関係から時々国分寺町の妻子のもとに出かけ時には泊ることもあつたことを認め得るのであるが、このことは原告の住所を前記場所にあると認定するについて妨げとなるものではない。

又成立に争ない乙第三号証に、原告に対する郵便物は国立町青柳七百八番地居住の原告の実子白川芳江方に配達していたが白川の申出により昭和二十七年十二月十日から国分寺町本多新田二ノ二九八番地に転送し、更に昭和二十八年五月下旬原告の申出によりそれ以来国立町青柳八百四十三番地今野幸一郎方に配達している旨の記載があるが、これは証人工藤ヨシヱの証言によれば、原告の妻トミヱが国分寺で飲屋をしていた時殺人事件がおこり、そのためトミヱ宛に裁判所等から呼出状が来るのでそれを国分寺の方に廻してくれと同証人(右乙第三号証に白川芳江とあるのは、同証人の旧姓(先夫の姓)によるもので同証人を指すものである)が郵便配達人に申出たことに基くものであり、原告の居住場所とは関係のないものであること、又原告本人尋問の結果によれば、乙第二号証の一、乙第五号証、乙第六号証に原告が住所を国分寺町本多新田二百九十八番地から立川市曙町二丁目二百二十五番地に移転した旨又は原告が立川市長に宛て住所を立川市曙町二丁目二百二十五番地として昭和二十六年七月二十日寄留届を提出し、更に同月二十三日印鑑届出をし、昭和二十七年五月二十八日印鑑証明の下付を受けた旨の記載があるが、これは原告が住宅金融公庫から建築資金を借りて住宅を建築する積りで許可を得たところ、立川市の友人がその権利の譲受けを希望したのでその権利証を譲渡したところ同訴外人が印鑑証明をとる便宜上原告の寄留届を原告に無断で立川市役所宛に出したものであること(証人工藤ヨシヱの証言中この認定に反する部分は原告本人尋問の結果に照して措信できない)を夫々認めることができ、成立に争ない乙第二号証の二及び証人藤村三郎、同池田由太郎の各証言によるも右認定を左右するには足らない。

以上の認定のとおり被告が昭和二十八年八月二十一日本件決定をした当時、原告の住所は東京都北多摩郡国立町青柳八百四十二番地今野幸一郎方にあつたのであるから原告の住所が国立町内になくなつたことを前提としてなされた被告の本件決定は違法であつて取消を免れないものと云わなければならない。よつてこれが取消を求める原告の本訴請求は正当として認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 飯山悦治 桑原正憲 鈴木重信)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例